もう一度
肩書が無職になった。
はやく次の仕事を探さなきゃなんて、これっぽっちも思っていない。
仕事なんかより、今私にはどうしてもやっておきたいことがある。
この感覚、あの時と似ている。
大学三年生の時、私は就職活動よりもアフリカに行くことを選んだ。
周りのみんなが次々と就職を決めていく中で、
新卒という「大事」な枠を捨ててでもやりたいことがあった。
アフリカ。
一度この目で見てみたいと思った。
ほんとに貧しいの?
もしそうだとしたら、こっち側の人間として何かやるべきではないの?
まだまだ未熟で何も知らない21歳の私だったけれど、
ただ行かなくちゃという感覚に従って大きな決断をしたことは、今の私の原点だ。
自分の感覚を大切にすること。
自分でタイミングを選び取ること。
私がそんな大胆な決断をしたことに、周囲は驚いた。
そして誰より、自分自身で驚いた。
私ってこんな度胸ある人間だった?
帰国してからは周りと自分とのギャップに苦しんだ。
ケニアという国の時間の流れ方を、
人とのつながり方を、
そしてかつて経験したことのない愛を、私は知ってしまったから。
たくさんたくさんつらい思いをいして、たくさんたくさん泣いた。
日本にいると嬉しい、楽しい、幸せと思えることがとっても少なくて。
両親にも思いを打ち明けられないまま、ただ自分ひとりで生きていた。
つま先立ちで背伸びをすように毎日を頑張っていた。
そんな20代だった。
でも、どんだけ頑張っても思い通りにいかないことはある。
自分さえ頑張ればすべてが手に入るだなんて、
そんな粗削りな野心だけではうまくいかないことも、
だからといって努力は決して無駄にならないことを、私は知った。
少しずつ少しずつ生活に笑みを取り戻していくなかで、
私が周囲に対して築いてきた壁が少しず剥がされていった。
肝心かなめの部分に残っていた大きなしこりでさえ、
私自身の気付きと変容によって溶けて無くなろうとしている。
私のケニアへの想いは、形を変え強さを変え、柔らかさをもって今、
新たな次元に突入しようとしている。
ケニア。
私はもう一度戻ることに決めました。
何が待っているのか分からないけれど。
純粋に大好きなケニアと遊んで来よう。
たくさんの思い出の詰まったケニアを、ピュアに戻った自分とともに探索して来よう。
なんのあてもない、ビジョンもない旅だけど。
でも、きっとこれまでにない最高の時間になる。
からっぽの部屋
タイトル
ブログを始めるにあたって、まず、タイトルに悩んだ。
タイトルはこれから綴る私物語の顔。
だから大切にしたくて、色んなアイデアを書き出して迷ってみたけれど、結局最初にピンときた、これに決めた。
ぐんぐるぱーにゃ。
正確には、「グングルパーニャ」。
この一年くらい、ずっと森山直太朗さんの曲を聴いていた。
この人の歌を聴きながら、私は人生の深い探究の真っ只中にいたのだけど、それももう一区切りを迎えた。
「グングルパーニャ」という歌は、アルバムのなかの一曲で、ipodには入れていたけどいつもスキップしてた。
でも、最近になって何気なくこの歌を聴いたその瞬間、わたしはその意味を理解したんだ。
だって、この歌が深い探究の答えだったから。
わたしはわたし。
当たり前のようで、当たり前じゃない。
この世界は、ややこしくて難しい。
でもそんな大きな壁を取り払って、わたしの本当の声を聴いたとき、こころがすーっとしたんだ。
そして、これからの日々に光が差し込む気がした。
LIFE。ライフ。人生。生活。暮らし。生命。いのち。
そっか、そうなんだ。
これからいろんな変化が起きていく、わたしライフを、記録に残していきます。
わくわく。