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☆ぐんぐるぱーにゃ☆な暮らし

なんやかんやとたどり着いた、ぐんぐるぱーにゃ。当たり前のようで当たり前じゃない。そんな世界が、目の前に広がっている!ありがとう、そしてさようなら昔のわたし!これから始まる「わたしライフ」をこそこそと綴っていきます~

再会

8年前ケニアで出会ったその彼は、ステイ先の家に突如現れた。

3週間のワークキャンプから帰ってくると家には見知らぬドレッド頭の男性がいて、ただの来客かと思ったら、いつの間にかその家に住む一員になっていた。

もの静かで落ち着いた雰囲気の彼。

朝早くからノートパソコンを開いて何やら仕事をしている。

初めて口をきいたのは、確か出会って2・3日後のことだった。

それくらい彼の存在は、いち風景として溶け込んでしまっていた。

 

彼の名はギブソン。みんなからはギブーと呼ばれていた。

当時私のステイ先は同世代の若者が多く、いつもにぎやかだった。

他国からのボランティアやケニア人の若者がしょっちゅう出入りしていた。

私はワイワイするのも好きだけど、静かに穏やかに過ごすほうがもっと好きだったから、その点で私はギブーと合った。

英語がそれほど得意ではなかった私だけれど、落ち着いた彼の口調のなかで、私は自分自身を表現することができた。

 

ギブーは自分のNGOを立ち上げたところだった。

コミュニティのために尽くしたいんだ、と。

そう静かに話す彼の姿は21歳の私にはとてもまぶしくて、いろんな話を聞きたがった。

私は彼を尊敬していた。

 

ギブーと一度だけ深い話をした。

彼の左手の薬指に光るリングについてだった。

軽く尋ねたそのリングについて彼は予期せぬ答えをくれた。

これはコミュニティのために人生を捧げると誓った証なんだと。

そう言った彼の瞳はまっすぐ前を見ていた。

あの日は晴れた昼下がりで、私たちは家の前の庭で話をしていた。

その光景がいまだに忘れられないほど、彼の言葉は私にとっては衝撃だった。

生きるとは、働くとはについて真剣に考える、まさに原点だった。

 

日本に帰国して間もなく、ギブーの音信は途絶えた。

翌年ケニアに行った時も、それから度々訪れた時にも、会うことはなかった。

唯一聞いていたのは、彼は大きな失意の中にいて、酒に溺れ、ステイ先の友人にも多大な迷惑をかけ、何も食べずに瀕死の状態になってスラムに戻っていったという事だった。

信じたくはなかったが、それが真実だろうと思ったのはここがケニアだからだ。

そんなことはあり得る話だ。

ひとたび不遇に見舞われれば、弱い人間は落ちるところまで落ちる。

それがケニアだ。

 

それでも私は信じたかった。

彼の芯の部分は腐ってはいないと。

いつか必ず戻ってきてくれると。

 

時は流れ、昨年ごろからFBの中でスラムで活動している様子がアップされるようになった。

以前のドレッドをやめ短く丸めた頭で、以前にも増して精力的に動いている姿が見られるようになった。

私の知っているギブーだ。

彼の姿を見て私はとても嬉しかった。

いつか絶対に戻ってくると私は信じていた。

 

そしてその時は来た。

ギブーとの再会を、私は他の誰よりも待ち望んでいた。

きょろきょろと探す私よりも先に、ギブーは私のことを見つけ出し、私たちは大きなハグをした。

彼はこの7年間について話し始めた。

自分の弱さの数々を、そしてその弱さとどう向き合ってきたのかを。

彼は言った。

「当時は自分が欲しいものばかりを考えていた。家、家族、子供、成功、お金。なぜ自分には無いのかと思うと苦しかった。でも、スラムでの活動に少しずつ参加していく中で、自分にないものではなく自分が人に与えてあげたいものにフォーカスしていくようになった。そうすると自分のことは気にならなくなり、それどころか今はスラムを変えていくことが自分の全てだと思ってる。昔は家庭という居場所が欲しくて女性を追っかけていたけど、もう追いかけるのはやめたよ。」

私にも言えないであろう後悔の数々を背負って、それでも前を向いて動き始めたギブー。

自分の中に自分を見つけたという彼の言葉は、やはり私自身と重なるものがある。

私の過ごした7年間。彼の過ごした7年間。

お互いに簡単ではなかったけれど、経験から学んで、笑って今ここにいる。

それが何よりも嬉しい。

 

ギブーの育った、そしギブーが変化を願うMathare Slum。

明後日連れて行ってもらえることになったので、私にできること、考えてみよう。