☆ぐんぐるぱーにゃ☆な暮らし

なんやかんやとたどり着いた、ぐんぐるぱーにゃ。当たり前のようで当たり前じゃない。そんな世界が、目の前に広がっている!ありがとう、そしてさようなら昔のわたし!これから始まる「わたしライフ」をこそこそと綴っていきます~

キベラスラムで考えた

キベラスラムに初めて足を踏み入れた。

思ったほど環境はひどくない。

それでも土壁、トタン屋根の家がひしめき合うように立ち並び、

日中でさえ陽の光も差し込まないような場所で家族が肩を寄せ合って生活している。

その姿に悲壮感はなく、そこには生き生きとした「生」があるだけだ。

彼らをかわいそうと呼ぶのがふさわしいのかは分からない。

ただ、私はキベラスラムに来ることができて、彼らは私の住む場所に来ることはできない。

私はスラムの生活を観察して、そしてトイレ、お風呂のある一軒家へと帰ってゆく。

とあるママのお家に招き入れてもらったが、私がなぜその家にいるのか、じろじろと人の家を観察しているのか、果たしてここに来る意味があったのか分からなかった。

 

 

昨日ブルブルの友人と話をした。

床屋さんを営むその彼。

大量についた歯石を見て、それは取った方がいいよと勧めるのだけれど、お金を払ってまで歯石をとりたくないという。

チアキ、それが「必要」だと思う人間もいれば、「贅沢品」だと思う人もいるんだよ。

特にここケニアではね。

 

今痛みがあってどうしようもなくなれば病院へ行くだろう。

でも、先手を打って病院へ行くことはしない。

床屋さんのその彼は私よりも一つ年下で、でも、もし歯がなくなったらそれまでだ、そう話していた。

この歯石をとればリスクが減らせるのに。

そう思いながら、もどかしかった。

でも、それが実情なのだろう。

こんな考えのケニアの人たちを相手に、ほんとに歯磨き指導なんかやる意味があるのだろうか。

今この一日を生きるケニア人に、先の未来のために予防を考えろというのは、私の自己満足ではなかろうか。

そう思い始めていた。

 

今日キベラスラムを案内してくれた30代後半?の男の人。

彼は上下の前歯を失っていた。

私たちが揚げたてのアンダジ(かたい揚げパン)をほおばる中、彼はいらないと言った。

歯がないから嚙めないんだよ。

 

おいしいものを食べられない。

だからと言って入れ歯を作ることもできない。

やっぱりここでは予防するしかない。

 

いろいろ意見はあるのだろうけど、私がいいと思ったことをやる。

一人でも誰かの心に留まり、行動が変えられるように。