GIVE
先日、マダレスラムの小学校で歯磨き指導を行った。
この小学校を最初に訪れたのは約三週間前。
友人のギブーにスラムを案内ししてもらい、この小学校に連れてきてもらった。
なぜ戻ってくるのに三週間もかかったのかというと、
一つはパーマカルチャーを追いかけて旅をしていたという事。
もう一つは自信がなかったという事。
昨年ルアイの孤児院で子供相手に歯磨き指導をしてみたけれど、いまいち反応がよくなかった。
大人相手ならば説明するのは比較的簡単だけれど、子供はハートをつかむのが大事。
だから今回はどうしようかなぁと考えあぐねた挙句、開催の日程をずいぶん先送りしてしまった。
でもその間にしっかり準備ができたことも確かで、一冊の絵本を翻訳する間にずいぶんスワヒリ語のしくみも分かってきた。
これはその副産物としてしっかり受け取ろう。
今回の歯磨き指導。
一番良かったのは、ローカルの心強いパートナー、ベティがいたということ。
私の言葉足らずな所はしっかりと補ってもらい、分かりにくそうなところはスワヒリ語で説明してもらった。
前回のように孤立無援の状態ではなく、しっかりとした後ろ盾を得て、私自身楽しみながら教えることができた。
質問を投げかけると我先にハイハイと手を挙げて満面の笑みで答えてくれる。
デモンストレーションで前に出てやりたい子を募れば、一斉に手が挙がる。
自分の小学校時代を思い出せば、間違えることや人前に出ることが嫌でしかたがなかった。
こんな風に反応が返ってくる喜びを知ると、もっと授業に積極的に参加すればよかったなぁなんて、学校の先生方に申し訳ない気持ちが湧いてくる。
なぜあの時、このケニアの子たちのように楽しんで学ぶことができなかったんだろうと今更ながら思うけど、きっともうずっと幼いころから、周りの目を気にして生きてきのだろう。
周りの目、世間の目。
日本にいればいつの間にか染み付いてくるこの外からのプレッシャーは、ほんとは自分で作り出した幻だったのだと、今ふと思う。
幼稚園クラスの歯磨き指導にはまだ課題は残るものの、一つの実施例から課題を生み出せたこともまた、ひとつ成果だ。
そして協力者のベティも次の開催にとても意欲的で、ぜひ一緒にやりたいと言ってくれている。
今後もしかしたら活動が広がるのかなぁなんて、先のビジョンがぼんやりと見えてきた。
そして、学校の先生、キリスト教のビショップの方もまた、今回の指導をとても喜んでくださった。
見てください、あなたの与えたインパクトを。
その視線の先には、ランチの後に一生懸命に歯を磨く子供たちの姿があった。
私にしてみたら、ほんの些細なことしかできないと思っているのだけど、それでも何か一つを変えられるのなら、本当にうれしい。
帰り際に、校長先生が袋を持っているか尋ねてきたので、カバンに入っていたスーパーの袋を差し出した。
すると彼女はその袋に豆とお米を入れた。
この学校はもうすぐ終業式を迎えるから、食べ物が悪くならないように持って帰ってちょうだい。
ついこの間寄付の食物をもらったばかりでたくさんあるから、と。
マダレスラムに住むベティならともかく、私がもらうのはなんだか悪いような気がして、私はいいからみんなで分けてちょうだいと言った。
すると校長先生は一言だけこう答えた。
I learned how to GIVE from my mother.
私はお母さんから「与えること」を学んだのよ。
'GIVE'
なんだかこの言葉が感慨深かった。
私が行っていることもGIVEで、そしてそれがGIVEとして跳ね返ってくる。
与えて、与えて、それが世の中を回っていく。
それは単なる報酬としてのRETURNではなく、その人の愛が込められている。
そうして回るGIVEは代替として、時にお金に換算されるのだろう。
仕事もそうだ。
自分が何をGIVEできるか。
会社側もフェアにGIVEするのなら、安月給も過労も、ほんとはないはずなのに。
いろんなことが頭をめぐる、GIVEの学び。