☆ぐんぐるぱーにゃ☆な暮らし

なんやかんやとたどり着いた、ぐんぐるぱーにゃ。当たり前のようで当たり前じゃない。そんな世界が、目の前に広がっている!ありがとう、そしてさようなら昔のわたし!これから始まる「わたしライフ」をこそこそと綴っていきます~

寄付

ブルブルを歩いていたら、突然中年のケニア人男性に呼び止められた。

いつものように足を止め挨拶しようと思ったら、そのケニア人は勢いよく話し始めた。

 

あなたは日本人?

10年ほど前に日本に行ったことがあるんだけど、一つ聞きたいことがあるんだ。

 

私が相槌を打つ暇もなく、そのケニア人は続けた。

 

私は国際赤十字で働いているから仕事でいろんな国に行くんだけど、

日本はあんなにお金持ちの国なのに、なんでみんなお金を寄付してくれないんだ?

ヨーロッパへ行けば寄付を呼びかければすぐに、しかも多額の寄付をしてくれるのに、

日本のあれはいったいどうしてなんだ?

難民や貧困や困った人が大勢いるというのに、どうでもいいと思っているのか、現状を知らないだけなのか。

 

あまりに予想外のことを聞かれ、私は絶句した。

そして何と答えたらいいのか返事に困った。

 

彼は続けた。

 

ケニアは日本に比べたらずっと貧しい。

でも、寄付を募れば少ないお金の中から出し合って助け合うんだ。

それなのに日本では多くの人が首を横に振っていたよ。

私は予想していなかったので、驚いてしまったよ。

 

うーん。何と答えよう。

少しずつ言葉を選びながら、答えた。

 

確かに寄付の文化はあまり日本には根付いていないと思います。

だからといって日本人が冷たいわけじゃないですよ。

震災で困った時なんかは寄付が集まりますし。

寄付先の団体を不審に思うこともありますし。

でも、難民や貧困なんかの世界の現状に関して無関心な人は多いと思います。

 

そう言いながら、私も国内の震災時にしか募金に協力したことがないなぁと肩身の狭い思いをした。

支援のあり方として、お金、マンパワー、いろいろあるから、自分にできることをすればいい。

そう思ってきたのだけれど。

 

ケニアにいると欧米から来たボランティアが、帰国後に寄付を募って施設の援助をしていたり、金銭面のバックアップをしていることもよくある。

こういうときに寄付を呼び掛けて、それに応えてパッとお金を出すのが欧米の文化なんだろう。

 

でもこれって、日本はそういう文化じゃないから、と終わらせていい話なんだろうか。

少なくとも、この男性と話をしながらバツの悪い思いをしたのは確かで。

私自身、お金をもっとオープンに使う必要があるのかもしれないなぁと、そんな思いが湧いてきた。

なんせ日本のお金は、錬金術のように大金に化ける。

 

昔はこのお金の価値の差が悔しくて仕方がなかった。

ケニアの人がどんだけ頑張って働いても、日本のわずかなお金にも届かないのだ。

天秤にかけられないものをお金に換算してその価値を図るやり方に、当時はずっと心の中で抵抗していた。

うーん、すごい20代だったな。

 

とりあえず、その赤十字のおじさんとはずいぶん話がはずんでしまって、私がナイロビに戻ってきたらまた会う約束をした。

 

明日からナイロビを離れ、三週間の島生活が始まる。