ハクナマタタ
年末から4日間、友人の家で過ごした。
ワンルームのその家には、シンク、シャワー、トイレはない。
料理は家の中にガスを持ち込んで、テーブルの上で料理をする。
建物内に水道はないから、水は外の水道から大き目のコンテナに汲んできて、その度にお金を払う。
手を洗うときにはコンテナから汲んだ水を手に注ぎ、それを洗面器が受け止める。
洗面器にたまった水は別の容器に移され、トイレを流す水として用いられる。
窓も小さいものがあるけれど開けることはできないし、日中でも電気をつけないといけないほど、日の光はほとんど入らない。
この生活がいいか悪いかのジャッジはできないけれど、私にとってはとてもハードだった。
何が一番難しいかって、プライベートなエリアを他の住人達と共有していること。
とりわけ外国人の私は人々の目に留まりやすく、おなかが痛くてトイレに駆け込むときにも人々の目にさらされていた。
バスルームの鍵も壊れていて、お風呂が終わった瞬間、風で扉が勝手に開くこともあった。
間一髪で素っ裸をさらすことは免れたが、外の人と目が合った時にはドキッとしてしまう。
共有スペースの掃除をする人がいないのか、ぬるぬるのバスルームの床でズルッとずっこけ、せっかく洗った体もまた洗う羽目になる。
洗面器に入れた水も衝撃で流れちゃうし。
そして、シンクが部屋になく手を洗うことが簡単にできないのは、思う以上にストレスだ。
ルシンガ島の時には少なくともプライバシーはあったし、水道はないもののキッチンは別にあったので、衛生面で不愉快を感じることは少なかった。
家の中が用途別に分けられていないというのは、こんなにも不便なものかと改めて思う。
この家の家賃は月5500シリング。(日本円で約6000円)
この友人の給料は月27000シリング。
税金等を引かれると、手元に残るのは約22000シリング。
給料から考えてなるべく手元にお金が残るようにするには、この部屋でも仕方がないのか、とがっくりしてしまう。
ブルブルの2LDKに住むジャトーにこの話をすると、彼女は言った。
うちは2LDKで家賃は月15000シリング。
バスルームもキッチンもシンクも家の中にあってプライバシーは守られている。
彼の27000シリングは給料としては悪くない方だし、わが家と変わらない。
しかもわが家は4人家族で、うち2人は学校に通っているからあれこれお金もかかる。
でも、今の家から出ていこうとは思わない。
生活は楽ではないけど、お金は何とかなる。
まずは自分たちが快適と思える環境に飛び込んで、その生活が継続できるようにあらゆる努力をする。
時にアップダウンもあるし、金銭的にどうしようもならないこともあったけど、でも家を引っ越すこともなくこうして今も何とかなってる。
スラムに住む人たちは、自分たちにはここしか住む場所はないと思ってる。
だからその生活から抜け出せないの。私の兄のように。
私たちの生活を見て兄は家は金持ちだと思ってるみたいだけど、家にもお金はないの。
でも大事なのは、いかに自分たちが覚悟を決めて、次の目標に自分自身を投じていくかよ。
数々の困難を潜り抜けてきたジャトーの言葉には説得力がある。
お金がないと話すジャトー。
確かに彼女のショップにお客さんがいるところはほとんど見たことがない。
でも、不思議と彼女の生活が苦しいようにも全く見えない。
お金がないなりにも彼女の生活は充足されていて、それが自信となって彼女からあふれているのだろうか。
何とかなる。
この魔法のような合言葉が、今はとっても頼もしく聞こえる。
そう、ここはハクナマタタの国。
何とかなる。