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☆ぐんぐるぱーにゃ☆な暮らし

なんやかんやとたどり着いた、ぐんぐるぱーにゃ。当たり前のようで当たり前じゃない。そんな世界が、目の前に広がっている!ありがとう、そしてさようなら昔のわたし!これから始まる「わたしライフ」をこそこそと綴っていきます~

おとん

久々に夢を見た。

おとん。

夢の中ののあなたも、病気で苦しんでいましたね。

やはりあなたの存在は、いのちとは、生きるとはについて教えてくれる。

もう今頃は、どこかに生まれ変わっているのかしら。

一目会えたら、と思うけれど。

二人きりでしたケニア旅行を、ここにいる間はずっと思い出すんだよ。

 

去年書いた日記を、忘れないように。

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おとんといえば、仕事用の青い作業服。
釣りが好きで、ビールが好きで、潮干狩りが好きで。
癖で鼻をほじっては母に怒られていた。

麺が好きだから「麺きち」、
子供のような大人だから「おども」。
これが我が家での愛称だった。
「お父さん」と最後に呼んだのはいつだったか。
いつのまにか、おとんはおとんになった。

大した学歴はなかった。
高校を出て国鉄に入社し、当時血気盛んな労働組合で精力的に活動していた。
国鉄の解体を機に仕事を辞め、名古屋から敦賀にやってきた。
男の人には珍しく、婿養子だった。
敦賀に来たと同時に、名前も鷲見から濱村になった。
そこにこだわりはなかった。

自分から立ち上がるタイプではなかった。
でも、人からの頼み事を断ることはなかった。
地元の消防団、地域の壮年会。お寺の檀家業。
学校のPTA会長を務めたこともあった。
誰もが煩わしいと思うことをいつの間にか引き受けていた。
母は断ればいいのに、とぼやいていた。

今年に入り、急速に脚が動かなくなった。
そしてついに立てなくなった。
それでも布団で寝たきりでいるわけにはいかないと、車輪付きのすのこに座椅子を自ら縛り付けた。
痛みをこらえてそこによじ登り、おとん主導のもと居間までの大移動が行われた。
すのこでガラガラ引かれるおとん。
母と二人、こんな時に不謹慎だけど、妙な光景に吹き出してしまった。

人前で泣く人ではなかった。
実父が他界した時でさえ、声を震わせることはなかった。
入院中も、こんな情けない姿を見せられないと、病状を公にはしなかった。
それでも来てくれる会社の一部の人には、こんなことになってすんません、と謝っていた。
家に帰りたいかと聞いても、そんな大変なことはせんでもいい、
病院に運ばれた時からもう帰れないことは分かっていた、と言った。

いつの間にか、すんませんとありがとうが口癖のようになった。
看護師さんが病室に来るたび、テレビやラジオのスイッチを切った。
じっと静かに仕事が終わるのを待ち、毎回お礼の言葉を口にした。
毎週末大阪から病院に駆けつけ泊まるたびに、すまんなぁ。
手を、脚を洗うたびに、氷枕を替えるたびに、歯を磨くたびに。
申し訳そうなおとんを見て、胸が痛かった。
すまんことなんて一つもなかった。

ある晩、苦しくてどうしようもなくなったら眠る薬を使いたいと言った。
そして余計な点滴などせずに、死んだら死んだでそれでいいと言った。
そうしてもいいか、と聞かれたので
おとんが望むならそれでいいよと答えた。
翌朝の回診で、主治医の先生に自らその方針を伝えた。

それから一週間。

今から例の薬を入れるから早く連絡をちょうだいと母からメールが来た。
眠ってしまったらもう話をできないからと。
こんな時に充電の切れそうな携帯を握りしめて、泣きながら駅の公衆電話に向かった。
おとん、弱々しい声で、自慢の娘だ、よかったと言った。

3日後、心拍数が落ちていった。
ずっと苦しんだ痰のせいでもなく、母に泣いて引き留められるわけでもなく、妹ひとりに見守られ穏やかに息を引き取った。
駆けつけた時にはまだ少し温かかった。
母と妹と。みんなでおとんの体を拭いた。
初めて見た背中の大傷、オペ後二か月も経つのに塞ぎきらない傷。
あんな大きなオペをして、抵抗力のない体で。
そりゃ痛いよね、苦しいよね。
おとん、がんばった。

おとんが薬を使ってもいいかと言った晩、ふたりきりの病室でこんな話をした。
こんな風に苦しみながらではあるけど、想いを伝えることができてよかった、
年功序列で、おじいの次に逝くのが自分でよかった、
こんな大病をするのが、家族の誰でもなく自分が引き受けてよかった、と。

姉夫婦にも、病室で教え諭す姿があった。
何があっても子供は最優先だ、自分たちの事情は二の次だと。
声はかすれて弱々しかったけれど、そんなこと気にも留めず延々と繰り返す。
その姿には凄まじさを感じた。
こだわりや執着を見せないおとんの信条。

何よりも子供が、いちばん。

 

おとんを思い出すとき、真っ先にこの闘病生活が頭に浮かぶ。
親孝行などできなかった。
心配ばかりかけて、花嫁姿も孫の顔も見せてあげることができなかった。

その代わり、思いつく限りの全てのことをした。
呼吸が苦しい時には、おなかを押して呼吸を手伝い、
眠れないときには安眠効果のある音楽を流し、
だるくて居ても立っても居られない時には、体をさすり、
体のことを知るために、東洋医学を勉強し、
がんの進行を抑えるために、食事療法を研究し、
心が苦しまずにすむように、ありとあらゆる本を読んで、おとんに伝えた。

全身全霊をこめた愛情、伝わってるかな。
きっとそのはず。


今年もまたケニアに行きます。出発は三日後。
おとんが見せた父親の姿。最後の教え。
そのとてつもなく巨大なものを受け取って、またひとつ強くなった。
おとんにはかなわないとは思うけれど。

今年はひとあじ違う自分。
ケニア出発前の浮足立った気持ちもなく、ただ淡々とその日を待っている。
現地で一体何を思うだろう。
自分でもわからない。

(2015.9.8)