☆ぐんぐるぱーにゃ☆な暮らし

なんやかんやとたどり着いた、ぐんぐるぱーにゃ。当たり前のようで当たり前じゃない。そんな世界が、目の前に広がっている!ありがとう、そしてさようなら昔のわたし!これから始まる「わたしライフ」をこそこそと綴っていきます~

アブダビで

乗り継ぎのアブダビに到着した。
約12時間も乗りっぱなしだったけど、身体はいつもより元気だ。
いつもなら飛行機ではほとんど寝られないのに今日はしっかり睡眠もとれた。
脚の紐縛りと座席での瞑想のおかげか、今回は脚もむくまず身体も軽い気がする。
でも、6時間のおきに出る機内食のおかげでお腹は少し重い。
食べなきゃいいのに食べちゃう、ご飯。
機内で唯一の楽しみだからこれはもうしょうがない。

昨日敦賀を離れて考えたこと。
このケニア旅について。

決意したというより、なんとなく流れの中で決まっていた。
なんとなく今なのかなぁって人に相談していくうちに、それが現実味を帯びてきて、自分の腹が決まらぬうちに正式発表するはめになった。

私は何をしにいくのか、自分でもよくわからないまま。

仕事を辞めると報告してから約3ヶ月。
この3ヶ月は爆走した。
30という年齢なんか関係なく、きっとここ数年で1番タフだった。
いい意味でよく遊んだ。
そしてよく学んだ。

政治に関心をもち、自分なりに行動してみた。
ありえないと思っていた形で恋をした。
本格的に気功を学び、自分自身と繋がることを知った。
オールナイトで遊んだりもした。
クラブでも踊った。
どれもこれも、これまでの「常識」が嘘みたいに、もうそこには自分の感覚しかなかった。

今回のケニアはどうなるのだろう。
色んな可能性を探ってあれこれ奔走してみたけれど、結局答えは見つからなかった。

というか、それが正解だったんだと思う。

ケニアでのことは、来てみないと分からない。
それよりも、ここに来るまでのプロセスが、もう十分すぎるくらいの意味をもっていた。

ケニアとの関係の中で、初めて母と向き合った。
自分の心と向き合あうちに、全ての原因は母ではなく、心を閉ざしてしまった自分自身にあったのだと気がついた。
私が心を開けば、母も笑うのだ。

生まれて初めて手紙を書いた。
渡した瞬間、母は泣いていた。

「遠くに行って寂しいよ」
「心配させてごめんね」

これが素直に言えていたら、もっと変わっていたかもしれないのに。
でも、ようやく素直に元の母娘に戻れたことは、何より嬉しい。

さあ、これから自分で創り出す人生が始まる。
真ん中の芯はできているから大丈夫。

待っててね、ケニア!!

もう一度

肩書が無職になった。

はやく次の仕事を探さなきゃなんて、これっぽっちも思っていない。

仕事なんかより、今私にはどうしてもやっておきたいことがある。

 

この感覚、あの時と似ている。

大学三年生の時、私は就職活動よりもアフリカに行くことを選んだ。

周りのみんなが次々と就職を決めていく中で、

新卒という「大事」な枠を捨ててでもやりたいことがあった。

 

アフリカ。

一度この目で見てみたいと思った。

ほんとに貧しいの?

もしそうだとしたら、こっち側の人間として何かやるべきではないの?

まだまだ未熟で何も知らない21歳の私だったけれど、

ただ行かなくちゃという感覚に従って大きな決断をしたことは、今の私の原点だ。

 

自分の感覚を大切にすること。

自分でタイミングを選び取ること。

 

私がそんな大胆な決断をしたことに、周囲は驚いた。

そして誰より、自分自身で驚いた。

私ってこんな度胸ある人間だった?

 

帰国してからは周りと自分とのギャップに苦しんだ。

ケニアという国の時間の流れ方を、

人とのつながり方を、

そしてかつて経験したことのない愛を、私は知ってしまったから。

 

たくさんたくさんつらい思いをいして、たくさんたくさん泣いた。

日本にいると嬉しい、楽しい、幸せと思えることがとっても少なくて。

両親にも思いを打ち明けられないまま、ただ自分ひとりで生きていた。

つま先立ちで背伸びをすように毎日を頑張っていた。

そんな20代だった。

 

でも、どんだけ頑張っても思い通りにいかないことはある。

自分さえ頑張ればすべてが手に入るだなんて、

そんな粗削りな野心だけではうまくいかないことも、

だからといって努力は決して無駄にならないことを、私は知った。

 

少しずつ少しずつ生活に笑みを取り戻していくなかで、

私が周囲に対して築いてきた壁が少しず剥がされていった。

肝心かなめの部分に残っていた大きなしこりでさえ、

私自身の気付きと変容によって溶けて無くなろうとしている。

 

私のケニアへの想いは、形を変え強さを変え、柔らかさをもって今、

新たな次元に突入しようとしている。

 

ケニア。

私はもう一度戻ることに決めました。

何が待っているのか分からないけれど。

 

純粋に大好きなケニアと遊んで来よう。

たくさんの思い出の詰まったケニアを、ピュアに戻った自分とともに探索して来よう。

なんのあてもない、ビジョンもない旅だけど。

でも、きっとこれまでにない最高の時間になる。

からっぽの部屋

昨日引越しを終えた。
5年半住んだこの家。
なんにも無くなった部屋の中で一晩過ごしてみたけれど、なんだか寂しい。
からっぽの家では音は反響し、時間は持て余す。
日頃からシンプルを良しとしてきたけれど、何にも無いのとシンプルとは違うのだと知った。

9月7日は私にとって特別な日だった。
昔は。
でも移ろいゆく時間の中で、特別な日はただの日に変わっていく。
2016年の9月7日は昔を回顧する暇もなく、慌ただしく過ぎ去ってしまった。
うん、そういうものだ。

ケニアに旅立とうと決めて三ヶ月。
今回の旅の目的を何度も考えてみたけれど、答えは未だに出ない。

積年の想いを解放するためたのか。
口腔衛生の大切さを伝えるためなのか。
スラムに分け入っていくためなのか。
この先に続く何かを見つけるためなのか。

一つ言えるのは、これはもう行ってみないと分からないということ。
アンテナの準備だけは万全にして、現地ではしっかりと受け取る。
そのためにこの三ヶ月、ゴールもないのに奔走してきたんだ。

引越しの昨日は、私にとって一区切りだった。
仕事をやめ、会うべき人に会い、この部屋での生活にさよならする。
ほんとにこなせるのかという過密スケジュールに何度も不安になったけど、1日1日を全力疾走した。
こんなに突っ走るのは久々だった。
でも、終わってみれば面白かったな。

さぁ、少し余裕を取り戻してこれから。
これから私の人生がまた大きく動き出す。
どこに行き着くのかは分からないけど、それがたまらなく、いい。



タイトル

ブログを始めるにあたって、まず、タイトルに悩んだ。

タイトルはこれから綴る私物語の顔。

だから大切にしたくて、色んなアイデアを書き出して迷ってみたけれど、結局最初にピンときた、これに決めた。

 

ぐんぐるぱーにゃ。

 

正確には、「グングルパーニャ」。

この一年くらい、ずっと森山直太朗さんの曲を聴いていた。

 この人の歌を聴きながら、私は人生の深い探究の真っ只中にいたのだけど、それももう一区切りを迎えた。

 「グングルパーニャ」という歌は、アルバムのなかの一曲で、ipodには入れていたけどいつもスキップしてた。

 でも、最近になって何気なくこの歌を聴いたその瞬間、わたしはその意味を理解したんだ。

だって、この歌が深い探究の答えだったから。

 

わたしはわたし。

 

当たり前のようで、当たり前じゃない。

この世界は、ややこしくて難しい。

 でもそんな大きな壁を取り払って、わたしの本当の声を聴いたとき、こころがすーっとしたんだ。

 そして、これからの日々に光が差し込む気がした。

 

LIFE。ライフ。人生。生活。暮らし。生命。いのち。

 

そっか、そうなんだ。

 これからいろんな変化が起きていく、わたしライフを、記録に残していきます。

 

わくわく。