引っ越しの引っ越し
プムワニでの医療キャンプを終えてからケンちゃんのお母さんのおうちに引っ越してきた。
ナイロビの郊外でとっても静かなところ、カハワ・スカリ。
おうちもすごく大きくて、庭にはマンゴー、パパイヤ、ベリーなどなど、フルーツの木がたくさん。
裏庭にはニワトリが三羽いて、日も昇らない頃からニワトリが鳴きわめていている。
赤土の道を歩いていくとそこには小さなマーケットがあって、そこでは最低限の生活必需品が手に入る。
もう少し離れたとこにはスーパーもあるので生活に支障もない。
おうちの大きさや雰囲気を察すると、ここはケニア人の中でも中の上クラスが住んでいるのだろう。
ママはとっても気さくな人で、私のことを気にかけてくれる。
ケンちゃんのいとこのOtienoはかつて中国に2年間住んでビジネスをしていたという。
ケニアの装飾品を売る小ビジネス。
中国に入って言葉も覚え、国内を渡り歩いて生活していたそうだ。
そのへんの行ってみようやってみよう精神はケニア人はあっぱれだと思う。
一つ迷惑なのは、彼はやたらと中国語を教えてくる。
スワヒリ語で何て言うのかと聞いても必ず中国語訳がついてくる。
スワヒリ語なのか中国語なのか、ややこしくてごちゃごちゃになるからやめてほしい。
そして数秒おきにwhateverの単語が入ってくるのも気になるところだ。
現在無職の彼。
日本でビジネスがしたいからなんとかならないかと聞かれるけど、私に何かできるはずもない。
ケニアに進出している中国企業のもとで働いてはどうかと提案した。
まずは目先の生活を考えて、しっかり資金を作ってから日本に挑むのが筋だが、そこらへのケニア人の無計画さは何とかならないものかと思う。
ここで滞在中の時間を過ごすというのが当初の予定だったけど、そうもいかなくなった。
もともケンちゃんから何も気にせず住んでよいと聞いていたので、せめて自分にかかる生活費だけ支払って住まわせてもらおうと思っていた。
ところがその滞在費についての話をもちかけると、ママは一日1500シリングを要求してきたのだ。
日本円で1一シリング約一円。つまり一泊1500円。
75日間の滞在で10万円超すことになる。
そんなビジター価格を要求されると思わなかったので、それは予想外だと話すと、食事なしで1000シリングでいいという。
いやいや、わざわざ郊外の知らないところに住んで、ビジター価格、食事なしとか無いでしょう。
すぐさまいつものブルブルの友人Maggieに電話し、彼女ならいくらで住ませてくれるか確認した。
まぁチアキ、一日1500シリングなんてありえない。それはホテル価格よ。
一日二日の滞在ならいいけど、長期滞在す人に請求する価格じゃないわ。
チアキは友達だから一カ月10000シリング泊めててあげるからこっちにいらっしゃい。
おぉMaggie、かつて8カ月住んだ私のホーム。
慣れ親しんだブルブルの町。
カハワ・スカリのように静かで落ち着いた雰囲気はないけれど、少し騒々しい感じも、大きなスーパーが近くてそこでぶらぶらする楽しみも、ごちゃごちゃのマーケットで買い物をする感じも、実はとっても好きなのだ。
何よりMaggieには何も気を遣う必要が無い。
ケンちゃんのママだからこれ以上お金の交渉はしたくなかった。
彼女には彼女の予算がある。私には私の予算がある。
それが近ければ話し合いでうまくいったのかもしれないけど、あまりにかけ離れている。
お互いにハッピーでない道を選ぶ必要は私にはもう無かった。
私にはブルブルに居場所があるのだし。
結局ママとはしっかり話し合いをして、次の日には出ていくことにした。
二泊分の3000シリングを払って。
それでもママは私のことを気にかけてくれて、申し訳ないと思ったからか、最後の晩には高級そうなワインを出してくれて一緒に乾杯をした。
ケンちゃんに私のことを頼まれて最後までよくしてくれた、いいお母さんだろうと思う。
最後に近所に住むケンちゃんの妹か姉だか、Peresも会いに来てくれた。
ここには住めないけれどまた時々遊びに来ると約束し、タクシーでカハワ・スカリを後にした。
いろいろ話をしてくれたケンちゃんには申し訳ないけれど、これはもう仕方がない。
引っ越しを決めてから少しチャットをしたけれど、彼は私が出ていくことをとてもがっかりしていた。
なぜ決めてしまう前に二人とも自分を通してくれなかったのか、解決策はあったはずなのにと責められた。
でも、これは私の問題。自分のことは自分で決める。
いろんな人の助言は、時々相手をコントロールするものだと、ここでも改めて思う。
ケンちゃん。
ごめんね、ありがとう、許してね、愛しています。
このホ・オポノポノが彼に届きますように。
そして今、Maggie宅の自室でブログを書いています。
Maggieに私のやりたい事や興味のあることを話すと、どんどんほしかった情報が入ってくる。
ここにいるとなんの気を遣うこともなく、ようやく夜中に目が覚めることもなく熟睡できるようになった。
ようやく思い通りに動き出したケニアでの生活。
まだまだ序盤に過ぎないけれど、頭にはすでに雑多な計画が浮かんでいる。
この引っ越しの引っ越しも、きっと起こるべくして起こったのだ。
万事が順調。
臆さずにいこう。